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【コラム】第5回「マンガと好奇心」

【バカにマンガは描けるのか】
良いアイディアを思いつくことができる人は、「頭が良い」と言われます。
では、マンガ家というのは頭の良い秀才集団なのでしょうか。
マンガ家がちょっと勉強すれば、東大に入れたりするのでしょうか。
逆に東大生がマンガを描けば、面白いアイディアをバンバン生み出すのでしょうか。
学校の勉強ができない人には、マンガは描けないのでしょうか。

そんな気も少しするけど、そんな単純じゃあない気もします。

僕の考えですが、学力とアイディアを生み出す力、両方の根本にあるのは「好奇心」です。
好奇心が強ければ、学力とアイディアを生み出す力、両方が強くなりやすいでしょう。でも必ずしも両方が強くなるとも限りません。「学校の勉強はできないけどアイディアを生み出す力はある」というのは珍しいことではありません。


つまり、バカでもマンガは描けます。
好奇心さえあれば。

(もちろんバカじゃない方がマンガを技術を学ぶのが上手いなど利点は多いでしょう。しかしバカだとマンガは描けないということにはなりません)


ここからは好奇心の重要性や強め方について僕の考えを書いていきます。


【分からないことを愛する心】
そもそも好奇心とはどんなものでしょうか。辞書によると「珍しいことや未知のことなどに興味をもつ心」とあります。見たことないよく分からないものを見て「これは何だろう?」と興味をもつ心が好奇心です。逆に好奇心のない人は何を見ても興味を持たず、「どうでもいい」と感じるのでしょう。

好奇心がある人は「これは何だろう」、「なぜこうなっているのだろう」と、様々な疑問文を頭に浮かべます。そして描く編 第1回で触れたように、アイディアは疑問文から生まれます。
好奇心は疑問文を、アイディアを生み出す原動力になるのです。

と言っても「何にでも疑問を抱く」というだけでは駄目です。一つ一つの疑問文について深く考えていかなければアイディアは広がっていきません。
ここで多くの人がつまづきます。気になることがあっても、考えたり調べたりするのを面倒くさがってしまう。そうならない人が真の「好奇心がある人」といえるでしょう。


【分からないことほど面白い】
では真の好奇心がある人になるにはどうすればよいか。
必要なのは「わけのわからないものを面白がる」という感性です。

学校の授業で先生に「これから習うところはめっちゃ難しくて意味わからんぞ」と言われてテンションが上がる人は少ないでしょう。
しかし難しいのはイヤとはいえ、「1+1は?」なんて聞かれても面白くはないでしょう。分かりやすいことは楽チンですが面白くはないのです。

わけ分からないことの方が楽しく、面白い。実は1+1=2が成り立つのは、ある前提条件があってこそです。その前提が崩れると、1+1は0になったりします。

以下はwikipediaの『1+1』の項からの引用です。


一般に、加法の最も素朴な意味は「合併」であり、多くの初学者は 1+1=2 の意味として「1つのリンゴと1つのリンゴを合わせると、全部で2つのリンゴになる」といった理解の仕方をする。
〈中略〉
環などの抽象代数においては、1 は乗法における単位元を意味し、加法は個数の合併という意味を離れた抽象的な二項演算である。
例えば、2元体 F2 は、乗法の単位元 1 と加法の単位元 0 のみを元にもち、この世界においては 1+1=0 である。


難しそうなので自分には理解できっこないと、しり込みしてしまった人もいるかもしれません。
でも、すごく気になりませんか?書いてあることの意味を知りたいと思いませんか?頭の中に疑問文が湧いてきませんか?
わけ分からなくて難しいけど面白い。難しいからこそ面白い。そういう感性をもつことができれば、頭の中にどんどん疑問文が湧いてきます。
難しいから分からないと疑問文を打ち消さないことが、好奇心を強めるコツです。


【楽しむ心を殺さないために】
そうは言っても、先ほどの1+1=0という文章は大学の数学レベルの話です。「難しくて分からないからもういいや」となるのも仕方ありません。そして「自分は学校の勉強が苦手でテストの点もいつも低い」という人ほど「もういいや」と思ってしまい、難しい話を楽しめないことが多いでしょう。

では、かしこい人でないと難しい話を楽しめないのか、と言うとそうではありません。先ほどの文章を完璧に理解するのは難しくても、あの文章を楽しむ方法はあります。

「書いてること全然分かんないけど、最後に『この世界では』1+1=0と描いてある。てことは自分が住んでるこの世界では1+1=2だけど、別の特殊な世界だと1+1=0になるらしい。それってどんな世界だろう?」
こんな風に考え、こんな世界かそれともあんな世界かと空想して楽しむことができます。
そもそもあんな文章はほっといて、1+1が2にならない状況を自分で考えてみてもいいのです。面白いアイディアを生まなさそうな疑問文は捨てればいいのです。


かしこい必要はありません。難しい話を聞いて「心が折れない」ということが重要です。
学校の勉強ができなくてもいいんです。ただし「自分は学校の勉強もできないバカだし、考えてもどうせ分からない。アイディアも出せっこない」なんて考えてはいけません。
自分を卑下してはいけません。
自分の可能性を、自分で殺してはいけません。

「1+1は2じゃない」と聞いて興味をもったのなら、面白そうと思ったなら。面白そうな方に首をつっこんでみましょう。
資格なんかいりません。自分をバカだと決めつけて背を向けなくていいんです。


とはいえかしこい方がより深く楽しめるのも事実です。難しい話を理解できた方がそりゃ楽しいです。
だから勉強はがんばるといいです。いい学校に入るためでも大人から褒められるためでもありません。楽しむために必要な力を得るために、勉強するのです。テストで良い点をとって自分は頭が良いと思えれば、難しい話にも思いっきり首つっこんでいけますしね。
社会人なら仕事をがんばってください。与えられた仕事を上手くこなすために頭を使えば、頭はよくなります。物事を楽しむ力もつきます。ひょっとしたら仕事も少し、楽しくなるかもしれません。


【バカでもマンガは描ける】
マンガを描くのは難しいです。わけが分かりません。何をどう描けばいいのやらさっぱりです。目の前に高い高い壁が立ちふさがっている感じです。

でも、「分からないことほど面白い」と思えたなら。目の前の壁は行き止まりではなくなります。壁を登ってロッククライミングを楽しむことができます。壁のどこかに穴が開いてないか探してみてもいいでしょう。いっそ地面に穴を掘ってみるのも面白そうです。
そうやって高い壁でいろいろ遊ぶほうが、遮るもののない道をただ歩くよりよっぽど楽しいです。壁を越えた後だったら、ただの道を歩くことも楽しくなりますが。


本当は学校の勉強や仕事も、そういう風に遊びながらできたらいいんですけどね。でもどうしても教わった正しいやり方に従わなければいけない部分が多くて、自分の創意工夫で遊ぶにはコツが要ります。

趣味の創作であれば、完全に自由です。好きなように描いていいんです。絵が下手でもいいんです。話も適当でもいいんです。自分が面白いと思うのであれば、どんな無茶苦茶なことを描いてもいいんです。それこそ片仮名を武器にしたり、RPG風の世界でサラリーマンが襲い掛かってくるマンガでもいいんです。

そうやってマンガを描いていると、だんだん分かってきます。マンガは自由で正解がないこと。正解がなくてどう描けばいいか分からないこと。でも正解がないからこそ、自由に遊べること。正解がないからこそ、分からないからこそ、楽しいということ。


マンガはバカでも描けます。楽しむことができれば。分からないことを楽しむことができれば。分からないことを楽しむ心、好奇心さえあれば。

それでは今回はこのへんで。
【まとめ】
●好奇心が大事
●楽しむ心が大事
●分からないものほど面白い
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