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【コラム】第3回「センスと才能」

本編でマンガにはセンスが大事、センスとは感覚と判断力という話をしました。
しかしよく考えると、「なぜ感覚が大事か」ということは話していませんでした。

今回は感覚が大事な理由に触れるとともに、センスと才能の関係について書いてみます。
「自分にはマンガの才能がない…」と悩んでいる人にも読んでいただけるとうれしいです。



【分からん→センスで解決!】
マンガは1コマ描くだけでもいろんなことを考えなくてはなりません。キャラをアップで描くのかロングで描くのか、正面から描くのか横から描くのか。表情やポーズもですし、背景効果なども考えなければなりません。
そうしたことをいちいち理屈で考えて正解を探すのは至難の業です。ガチで考えれば不可能ではないかもしれませんが、とんでもない時間と労力が必要です。理屈で考える部分もあるにしろ、基本的には感覚でなんとなく正解を見つけながら描くことになるでしょう。
理屈では解決できないことを解決する手段がセンスなのです。

(ちなみに、僕がこの連載でやろうとしているのは、自分が感覚で処理している部分をできるだけ理屈で説明することです。意識はしてないけど自分がアイディアを出すときって、発想より連想でアイディアが生まれてる、とか)



【分からん→才能で解決?】
何をどう描けばいいのか分からないときは、センスで解決する。ここで、センスの他にも、どうしようもない状況を解決してくれそうなものがあります。それが才能です。

自分は全然マンガが描けない。話が思い浮かばない。絵もまともに描けない。
一方で世の中には面白いマンガを描く人たちがたくさんいます。とんでもない画力の持ち主もです。

なぜあんなすごいものが描けるのか。何を食ったらああなれるのか
それに対して自分はなぜこうも思い通りに描けないのか。

そうか、あの人には才能があって、自分には才能がないからか。



【感覚は分からん→才能のせい】
上手い人は自分よりも創作に打ち込んできた時間が長いとか、いろんなことを考えて試して失敗して学んできたのだろうということは予想できます。ですが、そんな理屈ではどうしても納得できない部分もあるでしょう。自分も長い時間をかけて工夫して練習すればあの神作家のようになれるのか。とてもそんな気はしないというのが正直な実感だと思います。

なぜ納得できないか。それは、マンガとは理屈ではなく感覚で描くものだからです。そして、その感覚は、人から教わることができないからです。


上手い人が「こんな練習法で上達しました」と公開してくれていたとしても、それで分かるのは上達法の理屈の部分だけです。上手い人がその練習の中で感じた、「今まさに感覚や判断力が研ぎ澄まされていっている」という手応えは、他人には分かりようがないものです。
上手い人に24時間密着するとか、これまでの練習について根掘り葉掘り聞き出したりしたら、上手さの感覚的な部分も理屈で説明できるかもしれません。でもマンガを全て理屈で描こうとするのと同様、現実には無理でしょう。

感覚の部分が分からないから、なぜあんなに上手に描けるのかが分からない。
そうなったらもう、才能あたりを理由にして納得するしかなくなってしまうのです。



【才能のせいにする≠ネガティブ】
「自分には才能がない」なんて愚痴をこぼすと、「そんなネガティブなことを言うなよ」なんて言われてしまいます。しかし、自分に才能がないと感じるのは必ずしも精神的な問題とは限りません。
ここまで見てきたように、上手い人と自分の差は、感覚の部分がある限り絶対に納得できません。そこを納得しようとするなら、才能のせいにするのが一番合理的なのです。「才能のせい」と言えば、よく分からないことも説明できた気になれますから。

とはいえ「自分には才能がない」とネガティブなことを言ってもあまり得はしないのも事実です。
そのような考えに陥らないようにするためにはどうすればよいのでしょうか。

上手い人との差を合理的に説明しようとするから才能の話が出てくるのです。だから解決策は、「分からない部分は分からないままにしておく」ということです。
長い時間をかけて練習したからってあんなに上手くなれる気はしない。だけどあの人はきっと、長い時間をかけてセンスを磨き続けた者にしか分からない何かを得たのです。それは、上手い人と自分の差を理屈で考えている自分には決して分からないものです。

自分には分からない。それでいいのです。そこをムリヤリ納得しようと思うから、才能なんていうジョーカーを出さなきゃいけなくなるのです。

そもそも上手い人と自分を比較するのをやめてしまうのも良いでしょう。他人を気にしないっていうのはかなり難しいですけどね。
でも、そもそもなぜ自分はマンガを上手く描けるようになりたいのでしょうか。その人のようになりたいからでしょうか。もしくは、自分が思い描く理想のマンガを描けるようになりたいからでしょうか。後者であれば、他人のことにかまけているヒマなんてないですよね。
もちろん他人から学ぶことも大事です。そのときに学ぶのは、理屈を考えて理解したり、感覚で作品から良いところを感じたりするだけで十分です。上手い人と自分の差なんて完璧に分からなくてもいいのです。



【才能の有無だって分からない】
ここまで読んでもまだ「自分には才能がない」と悩んでいる人もいるかもしれません。
しかし、素晴らしい作品をつくって天才と呼ばれるような人でも、評価されないということはよくあります。ゴッホや宮沢賢治は生前は全く評価されず、死後になってから世に認められました。僕はゴッホも宮沢賢治も大好きなので、「あの二人ですら才能が無いとか思われてたとしたら、自分に才能が有るとか無いとか考えたところで正しいかどうか分かったもんじゃないな」と思っています。

そもそも、才能の有無なんてどうやれば確認できるのでしょうか。
何人かの人間に全く同じ期間、全く同じ練習をさせて比較すれば、生まれもった資質の違いは分かるかもしれません。ですがそんなことができたとしても、マンガは個性が大事です。それぞれがそれぞれの描きたいものを描くべきというところがあるので、同一条件での比較ということ自体がナンセンスでしょう。


才能が有るか無いかなんて、簡単には分かりっこないのです。そして「上手い人と自分の差はどうしたってよく分からないので、分からないままにしておくのが正解」という話からすれば、才能の有無だって分からないままにしておけばいいのです。

才能が無くたって、描きたいものがあれば描けばいいのです。



【分かってない奴ほど「才能がない」と言う】
ここまで読んでいただければ、もしも誰かから「お前才能ないよ。マンガ描くの辞めろ」なんていう心無い言葉を投げかけられたとしても、気にすることはないと分かります。

僕たちが神作家のことを完全に理解することができないように、あなたのことを完全に理解できる人はいません。マンガを描いてて前より少しだけ上手くなったという手応え。脳内の世界を形にできる楽しさ。そうした感覚はあなただけのものです。他人からは分かりません。
分からないこそ、「才能がない」なんて言い方になるのです。才能って、よく分からないことをどうにか説明できたような気にさせてくれる言葉ですからね。「才能がない」って言える人は、よく分かっていない人です。あなたのことも、たぶんマンガを描くということについてもよく知らない。
マンガのことが分かっているなら「まだ○○が未熟」というように具体的に指摘できるはずです。「才能がない」ってかなり辛口な批評ですが、そんなことを言えるのは実は無知な人です。本人は何もかも分かっているつもりなんでしょうけどね。すごく滑稽ですね。そんなこと言われてもダメージを受けることはありません。

「センスがない」って言われたら少し具体的になってますが、だいたいはその人の好みの押し付けです。センスのうちの判断力の部分について、「その判断はダメ。自分の好みのこっちの方にしなさい」と言っているのです。もしくは最初から作者さんを誹謗中傷する目的で言っているか。これは想像で言っているのではなく、コメスト*で「センスない」などで検索して出てきたコメントを見たところそのように判断できました。

*コメスト:新都社作品についたコメントがたぶん全部記録されている。ワード検索に対応していたり、登録解除された作品についたコメントも見れる。


誰かに何か言われても気にする必要はありません。上手い人と比較する必要もありません。
自分の理想のマンガを描けるようになりたいなら、それを目指して進めばいいだけです。


必要なのは、理想のマンガを描けるようになりたいという気持ち。


すなわち情熱。


他人には分からない、あなただけの情熱。

それだけです。

それだけを見失わなければ、十分なのです。
【まとめ】
・理屈で分からないことは感覚で決める
・分からないことを分かろうとすると才能に囚われる
・他人のことより自分の情熱
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